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(私の履歴)英語習得と受験失敗

(私の履歴)英語習得と受験失敗

私が帰国子女でもないのに
どうやって英語を取得したのか?

そのストーリーをお話ししたいと思います。


タイトルにあるように、大学受験も
失敗しました。

帰国子女じゃなくても英語って
取得できる!

ということを伝えたいです。

幼少時代

元々英語については慣れ親しんだ
幼少期でした。
耳は慣れていたのだと思います。

親からの影響も多かったです。
こちらの記事

(私の履歴)新しもの、アメリカ好きな理由
これから私の履歴を書いていこうと思います。 ネットショップをオープンした経緯が こちらで分かって頂けるかなって思います。 私は新しいもの、アメリカ、海外が好きです。 その遺伝子はやっぱり環境の影響が大きい。 私のおじいちゃんと(通称ジージ)と私の両親です。 その話を今回したいと思います。 私の大好きで尊敬するジージ 私のおじいちゃんは愛治郎という名前でした。 可愛いでしょう?^^ そしてめっちゃハンサムだったのです。 (歳を取ってからは頭がうすくなっちゃったけど、 若い時の写真は俳優さんみたい。) 愛と書いてめぐみと読む私の名前は 彼からもらいました。 ジージは私が20歳の頃に亡くなりました。 彼は一言で言うと、聖人のような人でした笑 彼が怒ったことは見たこと無いし、 優しさの塊というものでした。 結婚50年のバーバのことが大好きで、 いつもふたりで出かけるのが好きでした。 でも、 彼のバックグラウンドはとても波乱万丈です。 戦争のときに両親を亡くしました。 いわゆる戦争孤児ですよね。 teachme.jp 長男だったジージは 弟と妹とともに親戚の家で育ちました。 あまり戦争の時のことは私達孫に 直接は語らなかったですが、自分のストーリーを 本に書いて渡してくれました。 戦争が終わってからは、 米軍キャンプで働くことを選び、 そこで独学で英語を勉強したそうです。 英字新聞で勉強したそう。 teachme.jp 通訳などもやっていたとのことなので、 英語は話せたジージ。今から70年前のこと。 自分でビジネスをやって海外に行ったり、 新しいモノ好きのジージは、カラーテレビとか 新しいものには目がなくてすぐにゲットしていたそうです。 父とおばが、家にテレビがやってきて、 近所の人が居間で集まって見ていた と言っていました。 teachme.jp ジージも、海外の世界に憧れがあったのかな、って 思います。 面白いです。 最後、彼が亡くなるときは、1年くらい病院に 寝たきりだったけど、弱音を吐くことも、 辛いと話すこともなかったです。 自分の人生を全うに生きたジージだったし、 色んなものを彼の愛で教えてくれたことに 感謝しています。 私は直接この話を聞いてないのですが、 一緒に私の祖父母と住んでいた いとこ に対して、ジージはこう言った と言っていました。

 

家から20秒歩いたところに
あったECCの先生のところに
小学生の頃6年間通いました。

 クロンボすぎてやばい!!!

 

その先生は、UCLA卒業の帰国子女!
発音ももちろんいいし、彼女から学べたのは
良かったのだと思います。

その頃、テキストと音声テープというのが
セットだったようで、お母さんといっしょに
テキストを音読して、自分でもテープを聞いていたのを
覚えています。

そのころのことで、
今でも鮮明に覚えていることがあります。

でかい黒人の男性の先生とのインタビュー!

何故か、その頃のECCというのは、
お家教室の生徒が、駅近くの大きい教室で
1年に1回くらい外国人の先生と面接をしないといけない
というのがありました。

その当時7歳とか。小1ですよw
超巨体の黒人の男の先生の前に1対1で
座って英語で話す。

そんなことをしたことを覚えています。

私の先生は「全然怖くない、優しい先生だから〜」
と何度もなだめていたのを覚えていますが、
子供心に結構怖くて、泣かなかったけど
ガクブルだったのを覚えています笑

大人になっても、そんなことよくさせるよなあ、って
思います笑

まあ、多くの人種に子供の頃から触れ合って
抵抗感なくするというのは
おとなになってからも重要なんだなあ、というように
思います。

 

小さい頃から、勉強はだいすきだった私。
何故か勉強は嫌いではありませんでした。

自立心が強かったのか、大人から褒められたかったのか、
自分で自学ノートというのを作って
勉強をしていました。

英語については、中学校から科目として
あったので、最初は全然抵抗感なく好きな科目の
一つとしてあったと思います。

英文法が苦手だった中学、高校

話す英語、発音なんかは得意だったのですが、
学校の英文法になると完璧に間違ってしまう私でした。

テストの点数は悪い方ではなかったですが、
上出来!というほどでもなかったかなって思います。

あれだけ好きだった英語が、
そこまで好きじゃない教科になってしまいました。

でも、
日本の英語教育もあながち間違ってないのだと思っています。
私は日本の英語教育があったからこそ
英語が話せるようになったのだと思っているからです。

英文法は会話にも役立ちます。
だから、英文法をもっと親しみやすくテキストづくりを
したり、もっとアウトプットの時間を増やすことをすれば
もっと英語が出来る日本人が増えるのだろう、と思います。

 

嫌いだった英文法、英語に対する姿勢を
私の人生の中で
変えてくれた2人の先生がいます。

 

大学受験のために塾に行っていて、
そこで英語の先生をしてくれた
三浦淳一先生。

https://www.nnn.ed.nico/pages/introduction/teachers/index.html

 

彼の英文法の教え方はとても
分かりやすい!

大学受験のためのテクニックも
たくさん教えてくださったけど、
英語そのものを感覚で覚えさせるという
本質をついた教え方をされているなあ、
と思います。

先生に質問をできるようになっていたので
休み時間には沢山の質問を抱えて
先生に行ったのを覚えています。

先生は結構謎が多く、
凄いエリートなんだけど
予備校のテキストや本の出版にも
忙しい
というようなこをブログで書いていて
それを陰ながらに読み込んでいたことを覚えています笑
(ストーカー笑)

予備校の先生について噂ばなし
をするのって好きだよね〜
私も自分なりの情報を仕入れて、
友達とたくさん話していたことを思い出します。

 

あともう一人の先生は、
大西泰斗先生。

この先生には一度も面と向かってお会いしたことは
ありませんが、
彼の本からとても影響を受けました。

大学生の頃に彼の本を初めて読みました。

 

彼の英文法の教え方は、
ネイティブがどう英文法を考えて話しているか?
を第1の基本にしています。

だから、その”感覚”さえ身につけてしまえば
日本人でも英語ができるようになる。
話せるようになる、ということです。

覚えるだけの英文法から、感じる英文法へ。

 

私は彼の本を読んで英語がさらに
楽しくなりました。

私の英語の生徒さんには
この本をすべての人におすすめしています。
全ての英文法の決定版!のようなものですね。

 

大学受験失敗

高校3年生のときにとても頑張って受験勉強しました。
日頃から勉強もちゃんとしてきた自負はありました。

進学校で、自由な校風があったために
学祭にのめりこみましたが、それでも勉強もしていました。

受験勉強は辛い辛いものです。
私は数学が嫌いだったので
それを勉強するのが大変でした。

一生懸命頑張って塾に行って自習をしたり
一日10時間勉強したりしていました。

でも落ちたw

希望の大学は国立大学だったのですが
最初からここなら受かるだろうとタカをくくって
低めに設定したのが良くなかったのだと思います。

やっぱり上を目指して頑張らないと。
120%の準備をして、本番に望んで
100%の本命はすんなり受かるという感じでないと
だめなのだと思います。

浪人をする選択はその時はなかったです。

こんなにつらい受験勉強をもう一度するなんて
考えられない、と思ったからです。

私は滑り止めにしていた一回もオープンキャンパスにも
行ったことがない地元の大学に行くことに決めました。

こんなところに行くはずがないと思っていた
ところにです笑

すべり止めの大学もちゃんと考慮して選ぶべきだな
と思います。
今ならその時の自分に、そうやってアドバイスできるかな。


結局英米化の大学に行き、
受験勉強で話せなくなっていた英語が
話せるようになり、就職も英語を使った仕事だった
から結果オーライなのです。

大学時代

でも、大学に入ったときは
”自分はここにいるはずじゃなかった”と何度も思って
嫌な気持ちであったし、
大学のカリキュラムが簡単過ぎて、これで大丈夫なの?

ということを思っていました。本気で仮面浪人して
頑張ろう、とも思いました。

しかし実際は、
”レベルが低い!”と思っていたその大学の子達のなかで
私は一番のレベルではなかったことを思い知らされます。
他の子の方が英語うまいし、話せるし、
という子たちが結構いました笑

自信を撃ち抜かれる瞬間でした笑


受験勉強は一丁前にやってきた自信はあった。
でも、実際に話すとなると全然話せなかった。

大学の4年間で英語力が成長したのは
そこでの”やってやろう”という精神があったから
だと思います。

4年生になったときは、1年生のときの
1番上のクラスだった子よりも英語が話せるようになった
という自信がありました。

では、どうして英語を習得したのか。

次はそれで締めたいと思います。

リチャード

彼のお陰で私は英語をできるようになったようなものです。

私の右隣にいる白髪のおじちゃん

 

大学2年生になって、留学に行ってみよう!ということを
思いました。

アメリカのウィスコンシンの大学に4ヶ月のセメスター留学
に行く、というものです。

そのときの航空券40万円近くを自分のバイトで
払ったのを覚えています。親に留学費用は出してもらいました。
感謝しています。

その留学前の講座を担当してくれたのがリチャード。

白髪のおじさんです。(おじいちゃん?爆←怒られる)

アメリカでは飲むな〜とか
アメリカの男子生徒には気をつけろ〜
ドラッグは絶対に駄目〜とかを教えてくれる人笑

彼の講座自体はそこまで記憶にないのですが、
私はいつ頃からか、彼の研究室に入り浸るように
なりました。

彼は私の学科の先生ではありません。

だから、私の”先生”ではないのですが、
いつもオープンになっていた彼の研究室の椅子に
座って、その日の出来事を英語で話す、
これが日課でした。

「Megumi, talk to me!」(メグミ、話して)

と言われ、バイトでの出来事や、大学の授業の話、
今読んでいる本の話をずっとしていました。

彼は、
たぶんほとんど私の話を聞いていなかったと思います。
仕事をしながら、私が椅子に座って話すのを横で聞いていた
だけです。

でも、私はそれでよかった。
聞いていないから、何度も同じ話をしたりだとか、
「だ〜か〜ら〜」と言うような感じで話すことが
多かったですが、
今考えるとその時間は本当に貴重で、宝物のようなものでした。


彼がいい先生かどうかは分かりませんが、
確実に”いい人”であることは間違いありません。

若い生徒のために、ずっと我慢して聞いてあげる
そんなことができる先生もいないかなって思います。

私は英語だと臭い事も言えちゃったりするので、
彼には本当に感謝していると伝えています。

今でも友達ですし、彼の悩みを聞いたり、
私がやっていることを話したりする仲です。



私は先生から影響を受けるタイプ。
先生に好かれるのが好きで、
今までの人生のなかで、好きだった先生が沢山います。

大学受験には失敗したけど、
自分の大好きな海外の文化を自分で本を読んで、
旅をして学びました。

学生時代はお金はないけど、時間は沢山ありました。

休みのたびにバイト代を貯めては
海外に行っていました。

一人でバックパッカーをするものだから
私のおばあちゃんに、
「海に沈められても誰も分からないんだから!」</span>と
お守りを首から下げていけ、と言われたこともあります笑

旅先で実際に出会う人たちから学んだことも
多いです。
大学生の時は、ドラマ、映画もたくさん見ました。

私は「Desperate Housewivesデスパレートな妻達」
のドラマをすべて見て、英語を習得しました。

desparetehouswives-lovers.com

desparetehouswives-lovers.com

最初見ていたときは字幕がないと何言っているのか
分からなかったのが、途中から
分かるようになっていたのです!

英語習得にはある程度基礎のある人は
(会話が出来るくらい)
好きなドラマを見まくるといいかなって思います。

それからは、
貿易事務で英語を使って仕事をしたり、
英語の先生をしたり、


日常は英語で娯楽を消化しています。

英語は私の生活に欠かせないものとなりました。


帰国子女じゃない私の英語習得ストーリー
でした。

 

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